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赤猫丸平の片付かない部屋

Une chambre mal organizée

渋谷浴泉 銭湯遺跡探訪(5)

前川つかさの漫画作品『大東京ビンボー生活マニュアル』(1986年-1989年連載)の第5話「湯上がりの街」に登場する銭湯。主人公のコースケ曰く「渋谷にこんな空間が存在するとはちょっと信じられない」。
05_1 渋谷浴泉 渋谷区宇田川町31-2
出典:モーニングコミックス版第1巻31頁
入浴料が260円であったのは1985年5月から1987年5月の間である。

05_2 渋谷浴泉 198912
1989年12月発行の住宅地図には渋谷浴泉の記載がみえる。北隣には「浴泉ビル」、西側には「東急ハンズ駐車場」がある。
05_3 渋谷浴泉 199103
1991年3月発行の住宅地図では空き地となってしまった。1989年の浴場組合の名簿には掲載されているので、1990年頃に廃業したらしい。西側の駐車場は「(仮)宇田川町共同ビル」の建設予定地となった。
05_4 渋谷浴泉 199302
1993年2月発行の住宅地図では西側の駐車場とともに複合商業施設の「渋谷BEAM」となった。
05_5 渋谷浴泉 201701
2017年1月発行の住宅地図。北隣の「浴泉ビル」は、1995年頃に9階建の「中島興業ビル」となり、2009年頃にそれも取り壊された後は仮設の建物で300円均一ショップが営業していたが、2017年5月に地下2階・地上10階建の商業施設「HULIC &New SHIBUYA」が開業した。
05_6 渋谷浴泉 渋谷区宇田川町31-2(2017_0813_091243)bis
現地を訪ねる。渋谷駅前からセンター街に入る。

05_7 渋谷浴泉 渋谷区宇田川町31-2(2017_0813_091643)bis
顔形の建物が特徴的な宇田川交番があるY字路。右は井の頭通り、左は宇田川を暗渠化した道である。

05_8 渋谷浴泉 渋谷区宇田川町31-2(2017_0813_091734)
Y字路から井の頭通りを50メートルほど行くと、左に「渋谷浴泉」があった。『大東京ビンボー生活マニュアル』には「「カプセルハウス」とゆーかんばんが目印である」とある。

05_9 渋谷浴泉 渋谷区宇田川町31-2(2017_0813_091828_stitch)
跡地は「渋谷BEAM」の東側出入口(裏口)となっている。バブルの時代の雰囲気を漂わせている建物である。2017年8月13日。

05_10 渋谷浴泉 大正・渋谷道玄坂
ところで、藤田佳世『大正・渋谷道玄坂』(青蛙房、1978年)の裏表紙の見開きに、1921年(大正10年)頃の道玄坂界隈の地図が描かれている(上が西、右が北)。これによると渋谷浴泉のあたりに「月ノ湯」という銭湯があったらしい(赤い丸で囲んだ部分)。

05_14 渋谷浴泉 19470908撮影航空写真 USA-M449-117
「月ノ湯」と「渋谷浴泉」の関係は明らかでないが、1947年9月8日撮影の航空写真を見ると、渋谷浴泉の場所に銭湯らしき建物がみえる(赤い丸で囲んだ部分。煙突が地上に影をつくっている。)。周囲にはまだ焼け跡が広がっていた。
出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(USA-M449-117)

05_13 渋谷浴泉 1952_Shibuya
「ウィキペディア 日本語版」の「渋谷」で引用されている画像(「1952年(昭和27年)、現在の渋谷スクランブル交差点から西側方向を撮影」)。右上隅に渋谷浴泉の煙突らしきものがみえる。渋谷浴泉と駅前交差点の間には商店や住宅が無秩序に密集しており、1955年頃に始まる区画整理事業により渋谷センター街となる。

05_15bis 渋谷浴泉 195712火災保険特殊地図(戦後)
1957年12月作成の「火災保険特殊地図」では「渋谷トルコ温泉」と記載されている。建物に付された記号((コ)(三))によると、この頃すでにコンクリート造3階建の建物であったらしい。

05_11 渋谷浴泉 竹久夢二「出帆」p.166-167bis
『大正・渋谷道玄坂』の地図によると、「月ノ湯」の東隣には、画家の竹久夢二が1921年から1924年にかけて内縁の妻「お葉」と暮らした家があった。夢二の自伝的小説「出帆」にも次のような記述がある。「瓦斯燈のように頭でっかちでのっぽの家だったが、二階の窓下の木立の中から川瀬の音が聞こえてきた。すぐ隣が風呂屋で夜おそくまで流しの音がしたりして「まるで温泉へいったようだ」と友達が言った。」(竹久夢二『出帆』(龍星閣、1958年)166頁)。「川瀬」とは今は暗渠となった宇田川のことである。

05_12 渋谷浴泉 竹久夢二居住地跡の碑(2017_0813_092012)
現在、「竹久夢二居住地跡」の碑は「渋谷BEAM」の北側の道にあるが、正確な旧居跡からは少しずれていることになる。前掲の『大東京ビンボー生活マニュアル』では渋谷浴泉の入口付近に建っており、渋谷BEAMの建築時に移動したのかもしれない。

参考文献:渋谷・時空探究-第二話 竹久夢二居住地跡(1)~夢二の家はどこにあったのか~

〔以下、2020年8月23日追記〕
1977年7月12日放送のテレビドラマ「大都会 PART2」の第15話「炎の土曜日」で渋谷浴泉の外観がちらりと写る(ドラマの筋とは関係がない。)。一連のシークエンスをみると、階段で上る2階に「トルコ風呂」、地下には「ハッチ」という「スナックスタジオ」(今でいうライブハウスか?)とサウナがあったようだ。



Comments & Trackbacks (3)

    1. るか

      自分の母の実家が、まさに渋谷浴泉でした。私が幼稚園の頃には既に閉店しておりましたが、サウナや浴場を見て廻りました。どうやら母が小学校の頃に渋谷浴泉から泉に名前が変わったそうです。大した情報ではありませんが…

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        chatrouge

        渋谷浴泉の関係者?からコメントをいただき感激です!ぜひお母さまから渋谷浴泉の様子をお聞きになり、なんらかの形で発信していただければと思います。


    2. まさにそのコマを読んで気になって「渋谷浴泉」でググってこの記事見つけました

      ニッチな情報でここまで細かく知りたいことが載ってたのは初めてです!!

      参考になりました

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