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赤猫丸平の片付かない部屋

Une chambre mal organizée

植木等がつかった銭湯 銭湯遺跡探訪(26)

1963年公開の映画「日本一の色男」(古澤憲吾監督、東宝制作)。クレイジーキャッツのメンバーが主演する「クレージー映画」の1本で、「無責任シリーズ」(1962年公開の「ニッポン無責任時代」および「ニッポン無責任野郎」)に続いて植木等が主演する「日本一シリーズ」の第一作である。あらすじは、植木等演じる主人公・光等(ひかるひとし)が化粧品会社でセールスマンとなり、口八丁で美女たちを手玉にとりながら化粧品を売りさばいてゆくが、それにはある理由が…というもの。植木等がモテモテの色男の役を演じるのはやや違和感があるものの、植木の芸達者ぶりと古澤監督の勢いある演出ですべて押し切ってしまう作品だ。

さて、物語の終盤、本筋(あってないようなものだが…)とあまり関係なく植木は銭湯に出かける。

植木が訪れたのは番台のある典型的な銭湯。

番台の娘(演:清水由紀)を軽口でからかいつつ、落語「時そば」の要領で入浴料をごまかそうとする。本作公開当時の入浴料は大人19円である。

ここで気になるのは、この銭湯が実在の銭湯なのか、そうであればどこの銭湯なのかということである。

この問題について、成城大学の元職員で成城の街と日本映画(とりわけ東宝作品)に関する著作をもつ高田雅彦は、成城学園前駅南口にあった「成城湯」(世田谷区成城2-35-13、住居表示実施前は成城町138)であるとする(高田雅彦『成城映画散歩』(白桃書房、2017年)61頁)。高田は、論拠として浴室正面、背景画(ペンキ絵)下の広告をあげる。


植木が湯船で「これが男の生きる道」を歌う場面。
高田によると、植木の背後にある広告は実在の店に基づいた架空のもの(たとえば「松森靴店」は成城学園前駅北口にあった「松浦靴店」、「代三元」は代田橋駅近くに本店があり東京西部に同名の店が多数存在した中華料理店の「代一元」)だが、画面左側に見切れる「鳥竹精肉店」は実際の広告である(成城大学note>連載「成城映画だより」>「第14回 植木等、成城の街に降臨!」(2021年10月1日投稿)および「第24回 成城南口商店街で撮られた映画も!」(2022年8月1日投稿)参照)。たしかに、もともとあった「鳥竹精肉店」の広告の上に「松森靴店」の広告が後から貼られたようにみえる。

また、東宝作品では撮影所近くの成城がロケ地に選ばれることがしばしばあり、とりわけ当時多忙を極めていた植木の撮影は撮影所近くで行われた可能性が高い。高田は、「ニッポン無責任野郎」のなかで東横線の自由が丘駅で降りた直後の場面が実は成城学園前駅南口で撮影されたことを指摘している(『成城映画散歩』55頁)。

この高田説を検証すべく電話帳と住宅地図にあたってみた。
都立中央図書館所蔵の『東京23区職業別電話番号簿(昭和37年12月末日締切、昭和38年5月発行)』には、「鳥竹商店 世田谷区成城390」「松浦靴店 世田谷区成城361」「代一元成城店 世田谷区成城358」が掲載されており、いずれも成城学園前駅北口近くに位置している。「鳥竹商店」の電話番号は416-1511であり、鮮明ではないが上掲の画面の写り込みと一致しているようにみえる。

次に住宅地図を見てみよう。

『全住宅案内地図帳 昭和45年度版 世田谷区』464頁。
赤い矢印は成城湯を、青い矢印は鳥竹精肉店(地図では「鳥竹」)を示す。両者間の距離は成城学園前駅を迂回しても約450メートルである。銭湯の客は主に近隣住民であることを考えると、成城湯に鳥竹精肉店の広告が掲出されているのは自然である。

したがって、映画「日本一の色男」で植木等がつかった銭湯は成城湯であるとする説には説得力がある。


ただし、断定まではできない。上掲の場面では、入店するや女湯側へ行こうとするギャグでかがみこんだ植木の背中越しに暖簾が映り、そこに「お」の字がみえる。これは、同じく東宝撮影所に近い大蔵湯(世田谷区砧3-2-10、2000年代初頭に廃業。)の暖簾の一部(「お」おくらゆ)である可能性もある。もちろん、前出の広告同様に撮影用に製作された暖簾かもしれないが、ではどういう文字列の一部なのであろう。「お」ふろ?

大蔵湯の最寄駅もまた成城学園前駅であり、同駅近くの商店の広告が出ているのはあり得ないとまではいえないだろう。

他の東宝映画でも銭湯が登場するのであれば、さらなる手がかりを得られるかもしれない。今後の課題としたい。

2023年5月2日に成城湯跡を訪ねた。


現在は地下駅となった成城学園前駅の南口からすぐ。跡地の「成城ダイヤハイツ」の1階では「オリンピック・成城店」が営業している。インターネット上の情報によると成城ダイヤハイツは1976年1月竣工なので、成城湯は1970年代半ばに廃業したのであろう。

次に大蔵湯跡。


国立成育医療研究センターの向かいの横道を入った所。跡地には「K」というコーポラティブハウスが建つ。浴場組合が2000年に発行した銭湯マップに掲載されているが2002年発行のものには掲載されていないので、その間に廃業。

物語は、女たちを翻弄してまで多額の蓄財をしていた理由が失われ、主人公が侘しい下宿で大泣きして終わる。植木等主演の「痛快コメディ」といったイメージとはやや異なる、不思議な後味の作品であった。

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