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赤猫丸平の片付かない部屋

Une chambre mal organizée

南千住・汐入にあった「けやき湯」について

1994年12月から2000年6月までの5年半だけ存在した幻の銭湯、それが「けやき湯」である。

湾曲する隅田川沿いに木造家屋が密集する南千住8丁目、通称、汐入地区では「浩気湯」(南千住8-16-14)と「潮乃湯」(南千住8-28-6)の2軒の銭湯が営業していたが、白鬚西地区市街地再開発事業のためいずれも1994年に廃業してしまった。そこで、地元住民の要望を受け、暫定的代替施設として「けやき湯」が1994年12月27日に開業することとなった。東京都が建設した建物を荒川区が借り受け、廃業した「浩気湯」の経営者に営業を委託するという公設民営方式の銭湯であった。2000年6月30日、再開発事業の竣工をまたずに「役割を終えた」として閉店。

読売新聞1995年6月29日朝刊都民版32頁
「仮設の公衆浴場が人気」読売新聞1995年6月29日朝刊都民版32頁

仮設の公衆浴場が人気
再開発で銭湯立ち退き
「建て替えの間」内ぶろない住民請願

荒川区南千住八丁目の都の再開発事業で、内ぶろのない古い住宅をマンションに建て替える聞にと都が仮設した公衆浴場がにぎわっている。事業が進むにつれ客足は落ちるはずだが、新しい団地にコミュニティー施設がまだないためか、おしゃべりを楽しみに来るお客も多いという。

この公衆浴場は「けやきの湯」。延べ床面積約百九十平方メートルの銭湯らしからぬモダンな白い建物。カラン(蛇口)は男女各六個という小さな銭湯だ。
経営しているのは、もともと地元で「浩気湯」を営んでいた渡辺幸栄(ゆきひで)さん(67)一家。都の「白髭橋西地区第二種市街地再開発事業jのため、浩気湯など二軒あった銭湯ち立ち退くことになったのがきっかけだった。
同事業は、紡績工場跡地など四十八・八ヘクタールを再開発し、住宅棟を中心に三十七棟のビルを建設。四千百戸、一万三千三百人の街をつくり、周辺の神社なども合わせた約五十八ヘクタールを防災拠点とするもの。
しかし、銭湯が廃業してしまうと、内ぶろのない古い住宅の住民は、新しい住宅に移るまでの間、不便を強いられる。地元住民らは九二年九月、公共の共同浴場を確保するよう請願を提出し、翌年、区議会で趣旨採択された。これを受けて区は都と協議、都が施設を建設して区に無償貸与し、区が民間に運営委託することになった。
渡辺さんは昨年暮れ、浩気湯をたたむと同時にけやきの湯を開業。火を使う設備なので長男の均さん(47)が二階に住み込み、渡辺さんと妻のミヨさん(66)は、再開発でできた近くの住宅から通っている。
利用者数は、今年一月が二千八百七十八人、二月は二千六百八十六人、三月は二千六百五十人。最近は一日平均して八、九十人ほどが来る。新しい住宅への移転が進んでいる割に、お客は減っていない。渡辺さんは、「(移転した人も)団地のふろは狭いから、やっぱり銭湯がいいっていうんです」とうれしそう。土・日曜にゆったりつかりに来るお客が目立つという。
開業時間(平日午後三時)前からお客が並ぶため、いつも三十分ほど早めに開ける。時間帯によっては給湯が追いつかず、都にガスボイラーを増設してもらったほどだ。
ただ、けやきの湯はあくまで仮設。都は「利用者がいるうちは継続するjとしており、いつまで営業できるか分からない。渡辺さんたちは「この辺はまだ住民が憩う場がないから、ここがそういう場になっている」と話し、銭湯の役割の大きさを改めて実感している。

写真=浴場の準備をする渡辺幸栄さん(右)ら

読売新聞2000年7月1日朝刊都民版30頁
「仮設ぶろ“しまい湯”」読売新聞2000年7月1日朝刊都民版30頁

仮設ぶろ“しまい湯”
荒川の「けやきの湯」
親しまれて5年半

荒川区南千住八の都の大規模再開発事業で、内ぶろのない古い住宅をマンションに建て替える問、都が仮設した公衆浴場「けやきの湯」が三十日、最後の営業を終えた。事業完成が二年後に迫り、すでに大半の住民たちが新しいマンションに移ったため、都が「役割を終えた」と判断した。しかし、五年半にわたり、お年寄りらの社交場としてち親しまれてきただけに、常連客らは、「ここで語り合うのが楽しみだったのに」と惜しんだ。

「けやきの湯」は木造二階建てで延べ床面積約百九十平方メートル。濡酒(しようしゃ)な白い建物で浴室のカラン(蛇口)は男女各六個。最新のコンピューター制御の給湯器を備えている。
オープンは一九九四年暮れ。きっかけは、紡績工場跡地など約四十八・八ヘクタールを再開発し、住宅棟などをつくる都の「白髭(ひげ)橋西地区第二種市街地再開発事業」で、計画地にあった二軒の銭湯が立ち退くことになったこと。
「けやきの湯」は、内ぶろのない住宅に住む住民らの要望で都が建設し、立ち退いた銭湯を経営していた渡辺幸栄さん(72)に運営が委託された。
この日、渡辺さん一家四人は、「最後だからなるべく多くの人に入ってほしい」と通常より一時間早い午後二時に営業を始めた。給湯室でお湯の温度チェックをしていた長男の均さん(52)は「さすがに感慨深いですね」とぽつり。
体調が悪かったが駆け付けたという女性(87) は、「ここに来て、昔話をするのが楽しかったのに」と残念そう。毎日来ていたという元タクシー運転手の無職林政明さん(62)は、「ふろのあるマンションに引っ越して七年になるが、まだ一度も内ぶろを使ったことがない」と湯上がりのジユースを飲み干すとため息をついた。
利用者数はオープン当初は一日八十人ほどで、この日は午後九時半の閉店まで約四十人が訪れた。
都建設局第一再開発事務所は、「存続の声にこたえられないのは残念だが、あくまで仮設施設。ほとんどの利用者ち新しい住宅にふろを備えており、必要性はなくなった」としている。
約四十年間、銭湯一筋に働いてきた均さんは、「幼児からお年寄りまで裸で付き合う銭湯は人生の縮図だった。時代の流れには逆らえません」と語る。新しい仕事はこれから探すという。

写真=お年寄りらの社交場だった「けやきの湯」。最後の湯につかりにお年寄りたちが駆け付けた

※新聞記事では「けやきの湯」と表記されているが、『東京銭湯マップ2000』や再開発事業関連の資料(後出)では「けやき湯」と表記されているので、後者に準拠する。

 
「けやき湯」の外観はいかにも仮設然としたもので伝統的な銭湯の意匠はまったく見られない。急勾配の片流れ屋根が特徴で、北側のけやき通りに面した正面入口側が2階建てとなっており、奥にいくほど天井が低くなる。前掲の新聞記事によると「浴室のカラン(蛇口)は男女各六個」とのことなので、浴室はかなり狭かったと思われる。

けやき湯_1 東京都再開発事務所『完成した防災拠点・安全と快適のまち空間――白髭西地区市街地再開発事業誌』185頁

けやき湯_2 東京都再開発事務所『完成した防災拠点・安全と快適のまち空間――白髭西地区市街地再開発事業誌』185頁
出典:東京都再開発事務所『完成した防災拠点・安全と快適のまち空間 白髭西地区市街地再開発事業誌』(2011年)185頁

「けやき湯」の住所は荒川区南千住8-52-17であるが、再開発で街区がまったく変わってしまったため、住所だけで場所を特定するのは困難である。

1990年 再開発が本格的に始まる前。青線で囲った部分が「浩気湯」(住宅地図は「活気湯」と誤記)、緑線で囲った部分が「潮乃湯」。水神大橋は工事中となっている。
汐入1990

 

1995年 「浩気湯」と「潮乃湯」は空地となり、赤線で囲った部分に「けやき湯」が出現している。「けやき湯」西隣の「SCナイス」も仮設店舗である。
汐入1995

 

1997年6月5日撮影の航空写真
汐入1997(航空写真)

 

2000年 まもなく閉店の時期だが、高層マンション群はまだ出現していない。
汐入2000

 

2005年 建物は残存していた。千住汐入大橋が建設中(2006年2月19日開通)。
汐入2005bis

 

2010年 再開発事業が竣工。「けやき湯」の跡地は都立汐入公園の北西側入口付近、「リバーパーク汐入町会防災センター・防災備蓄倉庫」の西隣あたりと比定される。
汐入2010bis
「けやき湯」があったあたり。右側が公園の入口、中央やや左の灰色の建物は「リバーパーク汐入町会防災センター・防災備蓄倉庫」。選挙掲示板の後方あたりにけやき湯があった。2016年6月26日撮影。
けやき湯跡地 20160626

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