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赤猫丸平の片付かない部屋

Une chambre mal organizée

中央区の銭湯の変遷 補遺

銀座のど真ん中にあった梅の湯について。

1960年名簿には「中央区銀座6-3 梅の湯」との記載がある。

梅の湯(1953)
中央区立京橋図書館所蔵の日本商工出版社『東京都商工区分地図 中央区版』(1953年)では、松坂屋銀座店の東隣、住居表示実施後の銀座6-11に相当するブロックに「梅の湯」の記載がある。この地図の描画はかなりいい加減なため正確な場所は判然としない。「松むら」の北隣であることが比定の手がかりとなる。

梅の湯(1958)
住宅協会『東京都全住宅案内図帳 中央区南部』(1958年)では、「割烹 松むら」の北隣は「松坂屋駐車場」となってしまっている。「松坂屋駐車場」のさらに北隣の「松坂屋第一別館」(松坂屋銀座店の事務棟)は松坂屋社史によると1961年11月竣工である。

梅の湯(1968)
『東京都全住宅案内図帳 中央区南部 昭和38年改訂版』では、「松坂屋パーキングビル」となっている。「松坂屋パーキングビル」は1961年11月着工、1963年6月竣工である。

以上を踏まえると、(1))『東京都全住宅案内図帳 中央区南部』が発行された1958年の時点ですでに廃業していたにもかかわらず1960年名簿に掲載されたという可能性と、(2)1958年という発行年が誤りである(もっと遅い)可能性が考えられる。初期の住宅地図である『東京都全住宅案内図帳』は奥付などに発行時期が記載されておらず、所蔵する中央区立図書館の書誌情報が1958年としているにすぎない。1961年11月竣工の「松坂屋第一別館」が記載されているのも時期的に平仄が合わない。私見は(2)をとる。

いずれにせよ、「松坂屋パーキングビル」の敷地南西寄りにあった梅の湯は、遅くとも1961年11月の時点で廃業していた。その「松坂屋パーキングビル」も2013年6月に閉店した松坂屋銀座店とともに解体され、目下、銀座6-10と6-11の両ブロックに跨る大規模な再開発が進行中である。

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