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赤猫丸平の片付かない部屋

Une chambre mal organizée

甲子湯(きのえねゆ) 銭湯遺跡探訪(12)

白山通りと明治通りの西巣鴨交差点の東側、現在の住所で豊島区西巣鴨4-10-8にあった。2018年4月28日に現地を訪れると「タイムズ西巣鴨4丁目第2」という駐車場になっていたが、2017年12月発行の住宅地図では「キノエネ駐車場」と記載されている。2016年1月撮影版のGoogleストリートビューでも「KINOENE駐車場」という看板がみえるので、最近になって名称変更したらしい。これにより、甲子湯の読み方が「こうしゆ」でも「かっしゆ」でもなく、「きのえねゆ」であることが判明した。

12_1 甲子湯(2018_0428_112746)
12_2 甲子湯(2018_0428_112704_stitch)
12_3 甲子湯(住宅地図201712赤枠付き)

写真は敷地南側(豊島区立巣鴨北中学校沿いの道)から撮影したものであるが、航空写真では赤丸で示した場所あたりに煙突がみえるので、T字路に面した北側が正面入口であったらしい。

甲子湯のあった土地の変遷は次のとおりである。
(1)浴場組合発行の1960年名簿には甲子湯の記載がある。
(2)1963年6月26日撮影の航空写真(MKT636-C4-17)に銭湯らしき建物と煙突が写る。
(3)1963年11月8日発行の全住宅精密図帳・昭和38年度版は「三和化学工業所」と記載。しかし、「三和化学工業」が石鹸会社であることから、甲子湯に掲げられていた広告類を誤って記載した可能性がある。古い住宅地図には誤記が散見されること、以後20年以上にわたって銭湯らしき建物が存在したこと、(5)の時点でも店主が居住していたことからすると、この時点で廃業していたとは断定できない。
(4)1966年11月3日撮影の航空写真(MKT666X-C4-14)にも銭湯らしき建物が写る。
(5)1973年2月15日発行のゼンリンの住宅地図は1960年名簿の店主とほぼ同じ個人名を記載。「甲子湯」という店名ではなく個人名を記載していることから、この時点ですでに廃業していた可能性が高い。
(6)1975年1月31日撮影の航空写真(CKT7415-C23-36)にも銭湯らしき建物と煙突が写る。
(7)浴場組合発行の1976年名簿に記載なし。1962年から1975年までの名簿を未見のため(都立中央図書館に所蔵なし)、廃業時期を特定することはできない。
(8)1979年11月14日撮影の航空写真(CKT794-C7A-29)にも銭湯らしき建物と煙突が写る。
(9)1984年10月31日撮影の航空写真(CKT843-C7B-9)にも銭湯らしき建物と煙突が写る。
(10)1986年4月発行の航空住宅地図・61年版は「大中商店」と記載。おそらく建物の形状は銭湯のまま。
(11)1989年11月3日撮影の航空写真(CKT893-C2-27)では駐車場。
(12)1990年2月再版のゼンリンの住宅地図は「かねなか不動産管理駐車場」と記載。
(13)2016年1月撮影版のGoogleストリートビューに「KINOENE駐車場」という看板。
(14)2017年12月発行のゼンリン住宅地図は「キノエネ駐車場」と記載。

廃業時期は特定できないものの、廃業後少なくとも10年以上は建物が残存していた。1980年代後半に駐車場となり現在に至る。

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